筆者の経験則で言えば、元来は乗車券袋。
国鉄みどりの窓口が増えた1960年代後半には既に浸透していたように思う。きっぷ入れは民営化直後くらいから90年代の印象。21世紀が迫った頃から挙って横文字使うようになった。航空会社の影響かな。
国鉄みどりの窓口が増えた1960年代後半には既に浸透していたように思う。きっぷ入れは民営化直後くらいから90年代の印象。21世紀が迫った頃から挙って横文字使うようになった。航空会社の影響かな。
先ずチケットケースは道内ローカル呼称のイメージ。
▼2003年、スーパー白鳥と北海道新幹線のプロモーション版。Ticket Case を謳い始めた当初のもの。

2000年11月に導入されたUシートのチケットホルダーは01年度から順次、特急グリーン席にも広がり02年12月にデビューした789系スーパー白鳥の半室グリーン席にも備え付けられた。
次にチケットホルダー。
道内の車内設備よりも仙台地区のほうが3年以上先行している上に、現在チケットホルダーと言えば観劇・観覧等の入場券などを収める布製や革製の市販品がある。長財布とは違う。
▼1997年度下半期の仙台支社管内汎用。

東日本の新幹線路線図には秋田新幹線と長野行新幹線が追加されたばかり。
▼内袋にはサイズ確認用ゲージが印刷されている。

97年6月11日の静岡駅から始まった新幹線の自動改札機は、同年10月16日の上野駅を皮切りに東日本の新幹線にも導入された。現代の85㎜(カードサイズ)特急券は未だ先鋭的だった頃で、ゲージは120mm(青春18きっぷのような横長サイズ)特急券の誤投入予防に一役買っていた。
▼98年の仙台支社管内、東京ビュンビュン新幹線(ローカルキャンペーン)版。

流行語になるのは10年後なので未だ「ゆるキャラ」という言葉は無かったが、ゆる~い感じのキャンペーンマスコットキャラグッズもあった。
なお旅客案内上の暫定的な措置として長野行新幹線の名称が使われたのは97年10月の開業から7-8ヶ月程度。ぶっちゃけ海外客に対する長野オリンピック案内用の名称だった。オリンピックをきっかけに白馬村へのアプローチは長野駅からバス利用がメインルートとなり、大糸線直通の急行列車が衰退した遠因となった。
▼2003年、スーパー白鳥と北海道新幹線のプロモーション版。Ticket Case を謳い始めた当初のもの。

2000年11月に導入されたUシートのチケットホルダーは01年度から順次、特急グリーン席にも広がり02年12月にデビューした789系スーパー白鳥の半室グリーン席にも備え付けられた。
次にチケットホルダー。
道内の車内設備よりも仙台地区のほうが3年以上先行している上に、現在チケットホルダーと言えば観劇・観覧等の入場券などを収める布製や革製の市販品がある。長財布とは違う。
▼1997年度下半期の仙台支社管内汎用。

東日本の新幹線路線図には秋田新幹線と長野行新幹線が追加されたばかり。
▼内袋にはサイズ確認用ゲージが印刷されている。

97年6月11日の静岡駅から始まった新幹線の自動改札機は、同年10月16日の上野駅を皮切りに東日本の新幹線にも導入された。現代の85㎜(カードサイズ)特急券は未だ先鋭的だった頃で、ゲージは120mm(青春18きっぷのような横長サイズ)特急券の誤投入予防に一役買っていた。
▼98年の仙台支社管内、東京ビュンビュン新幹線(ローカルキャンペーン)版。

流行語になるのは10年後なので未だ「ゆるキャラ」という言葉は無かったが、ゆる~い感じのキャンペーンマスコットキャラグッズもあった。
なお旅客案内上の暫定的な措置として長野行新幹線の名称が使われたのは97年10月の開業から7-8ヶ月程度。ぶっちゃけ海外客に対する長野オリンピック案内用の名称だった。オリンピックをきっかけに白馬村へのアプローチは長野駅からバス利用がメインルートとなり、大糸線直通の急行列車が衰退した遠因となった。